社長通信 社長・瀬川文宏が気になること、考えさせられたことを綴ります。

2021年08月01日

松坂大輔と平石洋介
~プロフェッショナルとしてのキャリア~

Glass

8月、いよいよ2年ぶりの夏の甲子園が始まります。かつて甲子園で「怪物」と呼ばれた選手の一人、「平成の怪物」松坂大輔投手(以下、松坂=敬称略)が、9月に41歳となる今季限りで引退することを先月発表しました。
横浜高で春夏連覇を達成した3年生最後の夏は印象的でした。準々決勝・PL学園戦で延長17回250球の熱投、準決勝・明徳義塾戦は8回表まで6点差で負けていながらの逆転サヨナラ勝ち。そして決勝・京都成章戦でノーヒットノーラン。この年の横浜高は新チーム結成から公式戦無傷の44連勝という輝かしい記録で駆け抜けました。その後、西武ライオンズに入団、メジャーリーグへと進んだ松坂の活躍は周知のとおりです。

しかし、日本球界に復帰してからはケガとの闘いばかりで苦しみ続けました。それでもすぐに引退しなかったのは「自分を拾ってくれた球団に恩返ししなくては」との強い責任感からでした。自分のイメージするようなスピードボールが投げられなくても、「どうやったら130キロ台のストレートを速く見せるか」など、これまでの培った経験や技術をすべて生かして打者を打ち取る方法を自ら考え挑戦し続けたのです。そんな誇りと探求心は、まさに超一流のプロフェッショナルの生き様だったと思います。

新入社員の意識に関するある調査では、「管理職や経営層になってリーダーシップを発揮したい」と思うより、「エキスパートとして自分の能力や専門性を高め、社会から認められたい」と考える人が増えているそうです。このようなキャリア志向自体は素晴らしいことであり、何ら否定するものではありません。
しかしながら、IT業界の技術革新は非常に速く、そのスピードに対して自らの技術力に関する市場価値を維持するために、絶えず先進的な技術を組織内外から吸収しなければなりません。「IT技術者は35歳が限界」といわれることもあるほど厳しい世界です。
エキスパートを目指す若手IT技術者には、松坂のようにプロフェッショナルとして、技術への興味や探求心、誇りを持ち続け、自発的に学び、もがきながらも着実に成果を出し続けることを強く意識して、大きく成長して欲しいと願ってやみません。

近年、企業において多種多様な顧客のニーズを理解し、既存の事業とデジタル技術をうまく組み合わせ、これまでになかった価値を生み出すデジタルトランスフォーメーション(DX)が脚光を浴びていますが、ただ単に知識や技術に長けた人材だけを集めてもDXは成功しません。専門的かつ高度な知識や技術を有する人材を確保するだけでなく、その能力を「チーム」として融合させ、最大限に発揮させるマネジメント人材の育成、確保がDX推進の鍵となっています。

さて、「松坂世代」と呼ばれる同学年の一人に、1998年夏、延長17回の死闘を繰り広げたPL学園の主将を務めていた平石洋介外野手(以下、平石=敬称略)がいます。彼は、松坂と全く異なる野球人生を歩んできました。04年ドラフト7位で楽天に入団。7年間の現役生活では通算37安打。レギュラーに定着することなく戦力外通告を受け育成コーチに就任すると、16年には二軍監督に就任。18年には梨田監督の辞任を受けて一軍監督代行に。そして19年、38歳の若さで楽天の生え抜きとして初の一軍監督に就任しました。「松坂世代」ではもちろん初の監督就任でした。

選手としても実績の少ない監督だからこそ、自分の理想とする形にはめることなく、選手との会話を重要視し、その選手の考えを理解し、長所を伸ばそうとするマネジメントスタイルが確立されました。監督就任時に選手会長だった岡島豪郎外野手は「すごく周りが見える人。本当に選手をよく見てくれる人なので、僕らはやりやすい」と話していました。
選手の才能だけでなく性格や考え方も見抜き、その長所を伸ばす指導で、野茂英雄選手、イチロー選手と後にメジャーリーグで大活躍する超一流選手を育てた仰木彬氏もまた現役時代は決してスター選手ではありませんでした。
また平石監督の誕生まで、通算56安打という最も少ない実績での監督就任だった上田利治氏も37歳の若さで阪急の監督になり、リーグ4連覇、3年連続日本一に導いた名将です。「名選手は名監督ならず」という言葉もあるようにプレーヤーとしての実績とマネージャーとしての能力は別物なのです。

伝統的な日本企業においては、長い期間横並びで同じキャリアを歩み、その中で優秀な社員を管理職に登用しマネジメントを担うという考え方が主流となっています。しかしながら、仕事の専門性も多様性も進んでいる現在、管理職である上司がすべてに精通することはもはや不可能となっています。部下一人ひとりの多様性を理解し、受け入れ、強みを伸ばしながらモチベートできる、そんな人材が求められています。
平石は、小、中、高、大学とすべてで主将を務めるほど人望が厚く、特にPL学園では選手間で主将を決める際、左肩の故障でキャッチボールも出来ない状態にも関わらず、満場一致で選ばれたと言われています。また、単なるまとめ役やイエスマンではなく、先輩や監督など目上の人物にも、自分がこうと思ったことは意見を曲げずに発言できるところも昔から評価されていたそうです。
平石のようなマネジメントとしての優れた資質や適性を持っている人材を、いかに早く見つけ出し、経験を積ませ、さらなる能力開発に取り掛かれるか、今までと違ったマネジメント人材の発掘と育成の仕組み作りが、これからの企業にとって急務だと考えています。

松坂は投手としてのプロフェショナルを極めようとし、平石は監督・コーチとしてのプロフェッショナルを極めようとしました。
自らのプレーでチームを引っ張って勝利を目指すために「自分を突き詰めていく」エキスパート人材と、「周りをよく見て生かす」ことで勝利を目指すマネジメント人材。道は違っても、どちらも多様性を重視し、イノベーションを目指す会社組織にとって欠くことのできないプロフェッショナル人材であることは間違いありません。

2021年8月

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