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毎月更新中!社長通信 社長が気になること、考えさせられたことを綴ります。

2014年04月01日

歴史小説にみる上司と部下の関係

菜の花畑

NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が放映されています。黒田官兵衛が生まれ育った播磨国(今の兵庫県南西部)は、当社の親会社である神戸製鋼所の製鉄所や製作所などがあり、当社の社員も多く勤務し、住んでいる地域です。馴染み深いこともあり、ドラマが始まる前に司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んでみました。

さて、この黒田官兵衛ですが、備中高松城を水攻めで攻略するなど、戦略に長け、すぐれた軍師と言われています。秀吉に仕えて多くの武功を上げましたが、結局、天下を取ることはありませんでした。信長が明智光秀に本能寺で討たれた時、官兵衛は有名な中国大返しを秀吉に進言し、天下取りを画策しました。それ以来、秀吉は官兵衛を「自分以上に天下を取る才がある」と恐れ、多くの功績を残していた官兵衛を福岡・豊前の領主に追いやりました。その後、官兵衛から家督を譲られた息子の長政(黒田節で有名)が、関ヶ原の戦いで活躍し、徳川家康から大いに褒められましたが、この時、官兵衛は関ヶ原の戦いに乗じて天下を取ろうとしていたらしいのです。深謀の軍師だからこそ、絶対に確実という時まで機をうかがっていたのか、この戦が長期の消耗戦になると読み、両軍が弱ったところで出兵しようと考えていたのが、予想に反してあっという間に戦は決着してしまいました。何百年も前のことで正確な事実は分かりませんが、官兵衛はとうとう天下取りができませんでした。

この小説には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などいろいろな武将が登場し、多くの上司と部下の関係が描かれています。戦国時代は食うか食われるか、主君も家来も下剋上の世の中では謀略がはびこり、疑心暗鬼にならざるを得ません。肉親ですら人質に差し出さねば、わが身の保証はなかったのです。摂津の守、伊丹城の城主、荒木村重もなぜ信長に謀反を起こし、一族郎党三百人以上が処刑されたのか。信長から心底信用されてないと思い、身の危険を感じた村重が、毛利と裏で繋がり、いつか信長を討とうとしたのでしょうか。明智光秀が起こした無謀と思われる本能寺の変も、信長との信頼関係がなく、それが原因で何らかの陰謀に乗せられ、行動を起こしたのでしょうか。

官兵衛は、主君に絶対的な忠誠を誓い、決して人を裏切りませんでした。しかし、時は戦国時代。才を恐れられた官兵衛は、最後は秀吉に疎まれました。また、姫路城主だった頃の主君である小寺氏に「勢力のある毛利よりもこれから盛隆するであろう織田方に付くように」と勧め、進言を受け入れられたのですが、小寺氏は革新的な織田信長に次第に懐疑的になり、最後は毛利方に寝返りました。官兵衛は、ここでも結局、裏切られてしまったのです。
主君が疑心暗鬼に陥る中、官兵衛は自分の家来を心から信頼し、「黒田二十四騎」と呼ばれる最強武士団を作り上げました。信長や秀吉がもっと家来を信頼し、適材適所で才能を活かし、プロとして認め、コミュニケーションを深め、後継者を育てる度量があれば、徳川の世のようにもっと長く天下取りが続いたのではないでしょうか。戦国という、生きるか死ぬかの時代ですが、このあたりは、現代を生きる私たちにも考えさせられる点があるのではないでしょうか。

「軍師官兵衛」の舞台である姫路城は平成21年から始まった「平成の大修理」の真っただ中ですが、今年8月には再生した姿を現し、来年3月27日には一般公開される予定です。白鷺城と呼ばれる美しい姿を再び見ることができます。官兵衛とともに話題となり、多くの人に足を運んでもらえれば、播磨近隣の者として嬉しい限りです。

2014年4月

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